前向き

マッド・スライド・スリム

マッド・スライド・スリム

ざれごとばっかりであい済みませんが。

前向きって言葉が苦手で苦手で。と云うより、前向きと云う言葉その他もろもろを口に出して憚らない価値観が苦手で。

随分前ですが、SPEEDって女の子達が新曲はどんな曲ですかと訊かれて、「歌詞が前向きなんです!」とアピールしており、若いミソラでわざわざ前向きを売りにせねばならぬ悲劇に涙したものです。

レコードコレクターズのジェイムズ・テイラー特集の、サエキけんぞう氏の記事で、「『君の友達』と云う曲がヒットするくらい、アメリカの友達事情と云うのはとても悲惨な状況なのではないか、と云ったらJTファンの女の子に嫌われた」と書いてあった事が思い出されます。

JTは十代の頃に精神を病んで入院したり、ドラッグ中毒になったり、友達が自殺したり、まさに「火と雨」の中をくぐり抜けて生きてきた人で、それは『ファイヤー・アンド・レイン』と云う曲に結実してるんですが、そんな人が『君の友達』を歌ってる訳で、とてもとても重い歌なのですよあれは。

命がかかってんです。

それがホイホイとヒットしてしまうって事は、相当友達事情は、きっついんだろうなあ、と。

そりゃ前向きである事は良い事で、そんなのわざわざ云われなくても当たり前です。でも上手くいかないのもまた人生な訳です。

かつて日本の歌謡曲ファンは、今では指輪も回るほどやせちゃった、とか、アカシアの雨に打たれてこのまま死にたいわ、とか、そう云う歌詞を聞きながら、上手くいかない自分の身と重ねて、それらの歌を愛したんです。

大前提として、当たり前に、デフォルトで前向きであったから、そう云う愛し方が出来る訳です。

前向きが売りの物を受け取って、わかる、わかるわーとかしみじみ思うってのは、つまりは云われなきゃ前向きである事の有効性を確認出来ないって事は、その大前提が成立していないって事で、その悲劇は大変なものです。彼らには、アカシアの雨が止む時、ハトとなって冷たくなった自分のぬけがらを置いて愛するあの人を探して飛び立つ事も許されないんです。そんな酔狂な事を考える余裕もないんです。可哀想な方々です。

だから、世の中に溢れる自己啓発ものの書籍も苦手です。苦手と云うのは気を遣った表現で、本当は全部焚書にしてしまえとさえ思ってます。タイトルだけ読んでてもイライラします。そんなんで勇気付けられたり影響を受ける程、「人生観」と云うものは俺にはありませんし、欲しいとも思いません。

俺はこう云う人間であると云うのを前提にしてですな。

はぶさんの「年齢のはなし(id:habuakihiro:20050513#1115968545)」を拝読して、驚くとともに、力を戴きました。

出向先から自社に戻る戻らないの騒ぎで、先方の云う所のビジネスの世界って奴がもうほとほと嫌になって、とって食うより食われる方がなんぼか気分がいいわい、やっぱり資本主義の尖兵で居るってのは難しいのだなあと力が抜けきってた所ですが、もうちょっと頑張ってみようかと、グリコのGABAを食べつつ思いました(相当弱ってるなーがはは)。

えー、随分と大仕掛けの照れ隠しと共にお送り致しました。だって、なんかくやしいじゃん力付けられちゃうの!