太陽の子

昔小学校で映画のチケットがよく配られたもんで、近くの公民館で上映されたりして、こう云った映画と云うのはなかなか日本映画史などには浮上してこない。

先生のつうしんぼ』とか『おかあさんのつうしんぼ』とか『ガラスのうさぎ』とかああ云うのだ。『ガラスのうさぎ』は例外的に、時々だけどテレビで放送される事もある。

その中で印象的だったのが、小学5年生くらいの時に上映された、灰谷健次郎原作の『太陽の子』(http://www.jmdb.ne.jp/1980/dd002770.htm)で、主人公の女の子がショートカットで運動神経のよさそうなこれ健康と云った塩梅のおなごで、今で云うと相武紗季に近いんではないかなあ、それはどうでもいいや、要するにお父さんが元々ウチナンチューで御座居まして、若い頃のガールフレンドが確か大竹しのぶで、所謂ひめゆりと云う奴で御座居まして、戦争の犠牲になるのですが、生き残ってしまった事をずっと負い目に感じて時々発作が起きて結局死んでしまうと云う主人公の父、これが河原崎長一郎でねぇ、これ以上ないキャスティングだよなあ、今にも消え入りそうだもん。天下一品の不幸顔。

だから逆に『喜劇・女は男のふるさとョ』ではどんでん返しが生きて来るんだよなぁ。ビバ長一郎。

話がずれたが、よってこれは反戦映画な訳です。学校でチケットが配られて公民館で上映ってのもむべなるかなで、えーともっと話をずらすとこれが俺にとっての長一郎ファーストインパクトでありまして、河原崎一家とはオヤジの長十郎含め事ある毎に出くわす事になって凄い人達だなぁ、でもみんな顔がしょんぼりルドルフだよなあとかなんとか。

長くなったけど、この映画のサブタイトルが『てだのふあ』と云いまして、当時、なんですかこれはと思ったんですが、劇中で、「太陽の子」のウチナーグチであると明かされる訳です。

いやーマイッタ!沖縄、遠いよ、遠い!まるで違う言葉だよ!と小学生に衝撃を残したのでした。

そんなこんなで大人になって、やはり同じく「太陽」を意味するウチナーグチが名前に付いたプレゼンテーションフレームワークに期待を寄せる男になっとる訳ですが、心の中では未だに「太陽」は「てだ」と云う印象がつおい。

こんだけ書いてオチはそれかいって云う、だってカゼっぴきで仕事になんねーだよ。うー咳が。