自己自己自己
『プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))』を読んで、社会学的考察とかはふーむなるほどと面白くは読めたんだけど、さして感じ入る所がなかった、と前に書きましたが。
そもそもがあれですよ、「自己実現」とか「自己啓発」とかがダメなんですよ。アレルギーと云うか。実現したり啓発したりする程自己なんかないしー。
TQは、中身は「ちょっと良い話」みたいなのが多かったけど、器は超ドライじゃないですか。前にも書きましたが、TQの価値観からしたら、ダウン症の子供を見殺しにしても別に良い訳です。止める理由が全く無い。実に人間的だ、素晴らしい。人間ばんざい。
で、次に、あまぞその古本で安く出てたので、これ読みまして。
- 作者: G.M.ワインバーグ,木村泉
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 1991/10/01
- メディア: 単行本
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それでも最後の章は、良かった。ただの良い話なんだけど。良かった。そこにちょびっと物悲しいものがあった。ペーソスに騙される位には、まだまだ俺もバカちんなのであります。
で、『〜道』によれば、そのワインバーグも、若い頃は自己啓発クソ食らえみたいな感じだったらしくて。
- 作者: デールカーネギー,Dale Carnegie,山口博
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 1999/10/31
- メディア: 単行本
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そこまで云うなら読んでやろうじゃないの、てな訳で半分まで読みました。
えーと、つまり、吉原の遊女を見習いたまえ、って事なのかな?人に愛想よくしたりおだてたりにとどまらず、相手の関心事に食いついて話を膨らませろってんだから、相当な教養を要しますね。どんな話題を振られるか判らないし。吉原の遊女は学問やら政治の話やら出来て歌も詠めて、ってな教養が必須だったらしいですし、カーネギーの理想を体現してるんじゃないですかね。
もうすべからくビジネスマンは唐沢俊一になれと。そう云うのですかあなたは。
因みに唐沢氏の近刊、『唐沢先生の雑学授業 (二見文庫)』はカットが藤本和也画伯なので皆買ってね。藤本君の明日を拓くのは君だっ!
で、思ったんだけど、アメリカさんと云うのは、細かい事にはこだわらないと云うか、大らかなんですかね?カーネギーの原則にならって表現変えてますが(本当は鈍感と云いたい)。
だってさー、人の誤りを指摘しない、ってのが原則の一つなんですが、相手が間違っていた時、こう云えばいいんじゃないの?ってのがこれですよ。
「実は、そんなふうには考えていなかったのですが − おそらくわたしのまちがいでしょう。わたしはよくまちがいます。まちがっていましたら改めたいと思いますので、ひとつ事実をよく考えて見ましょう。」
これって、字が汚くて全然読めないのを、書いた人にたずねる時に
「すみません、達筆過ぎて私には読めないんで、何て書いてあるか教えて戴けますか?」
って云うのと同じですよ、これってイヤミの定型句、クリシェ、決まり文句、大スタンダードじゃん。
勿論翻訳過程で表現がヘンになってる部分もあると思うけど、他の原則での会話の見本なんかも一歩間違えたら強烈なイヤミにしか取れないものがあって、如何なものかと。アメリカさんはそんな事気にしない大らかな人達なのかなあ。
でも内容としては、おもしろエピソード集って感じで、俺論のお披露目に終始って感じじゃないので、割と心安らかに読み進められます。って最後に誉めちゃいけないんだよな、カーネギー式だと。